〝お茶〟と〝わたし〟のつきあい お茶はこころのあたたかい故郷
今回、mumokutekiで取り扱わせて頂いている「にほんちゃギャラリーおかむら」の岡村友章さんに記事を書いていただきました。ありがとうございます。
岡村さんはなぜ「お茶」を取り扱い始めたのか?その出会いについて。
書き手:岡村 友章(にほんちゃギャラリーおかむら)
はじめまして。「にほんちゃギャラリーおかむら」と申します。
生まれ育ちの故郷である大阪の島本町という町に暮らし、全国のおいしい日本茶を生産者から直接仕入れて皆さんにご紹介することを仕事としています。
現在は店を持たずに地元を中心としたイベントに出店したり、近隣へ配達したりという毎日。
このたびmumokutekiでもお茶のお取り扱いがはじまり、私だけでは手の届かない方々へお茶を紹介できることをとても嬉しく思っています。
ー 作り手の顔が見えるお茶
ー おいしくて、家族で毎日でも楽しみたくなるお茶
ー 各地に残る在来種を使用したお茶
ー 地域に根差す製法に則ったお茶
できるだけこうしたポイントに従ってラインナップを構成するよう心がけています。ぜひmumokutekiの店頭で手に取ってご覧ください。
今日はそんなお茶自体の話ではなく、私がどうしてお茶を扱う仕事をはじめたのか、そのことについて書きます。
「えっ、お茶の話ではないの?」と思われたらごめんなさい。
でもこの話は、mumokutekiの品物を「いいな」と感じる方にならきっと伝わるので、このまま筆をすすめてみたいと思います。
私の祖父は姓を武田といい、徳島県つるぎ町の山奥にある「家賀(ケカ)」という集落の出身です。そこでは日本の他のいなかと同様に、自分たちで飲むためにお茶を製造する文化が残っていました。
祖父は若いころに大工として京都へ出て、やがて結婚して大阪での暮らしを送ることになります。そんななか孫である私に、集落でのお茶づくりのことや、徳島での思い出話を繰り返し語って聞かせてくれたのです。それはもう、しつこいくらいに…
今から数年前に祖父は病を患い、体力的に徳島へ帰省することは難しくなってしまいました。それでも故郷への愛情は薄れず、むしろ増して、いなかの思い出話が続きます。
そこで私は、自分が祖父のかわりに家賀集落へ帰ることにしました。祖父が会いたい人の話を聞き、見たい景色の写真を撮るのです。2014年秋のことでした。
この里に祖父の親戚で存命の方はもういませんでしたが、実家の隣に住まう長年の友人であるというK夫妻を訪ねました。はじめ、怪訝な顔をされましたが、「武田の孫である」ことを申し出るやいなや、ぱっと明るい表情に変わったKさん。家にあげてくださり、「ご飯はもう食べたのか」などといろいろ気遣ってくれます。
人のほとんど居ない集落ですが、お話好きなKさんは、堰を切ったように昔話や近況などを語って聞かせてくれます。私にとっては、祖父の若いころとつながった気分になれる宝物のような話ばかりでした。
雑多に積まれた家具。壁にはKさんの孫たちの写真。外には車どころか人っ子ひとり歩いておらず、聞こえるのは時計が時間を刻む音と、集落から臨む深い谷を抜ける風の音だけ。
ちゃぶ台の上には山盛りのお菓子。そして、それがありました。祖父がずっと語っていた、故郷のお茶でした。
Kさんが所有する茶畑でとれたという、およそ40年ほど前に植えたお茶。農薬は使わず栽培し、摘み取ったお茶は地元のJAの製茶工場で加工。少量しかないので山を降りた市街にある特産品売り場でひっそりと販売し、自家用にも保管しているようです。
いま振り返るとそのお茶は、客観的にいって極ふつうの飲みやすい煎茶です。特筆すべき特徴もなく、売りたいかと聞かれれば、そうでもないと答えるでしょう。
しかし、単に「香りや味が良い」とか「健康効果がある」といったポイントだけで判断することは出来ないと、このとき直感しました。
そのお茶を飲んだとき、心の底から嬉しかったからです。
それ以来あのような気持ちは、今日に至るまでに飲んだどんな高価なお茶からも抱いたことがありませんし、きっと生涯ないだろうという予感があります。
祖父がずっと語って聞かせてくれていた故郷の産物。そこでひっそりと世に知れず継がれてきた、集落をずっと定点で見つめてきたお茶です。
お茶を通じて、祖父の幼少期をのぞき込むようです。祖父の故郷は、私自身にとっても故郷なのでした。
そのような訳で、私はお茶の世界のドアを叩きました。祖父の故郷と同じようにして、日本中で今もお茶づくりに励む方々がいることがわかってきたのです。
その方々の暮らしや気持ちをパッケージに包んで、みなさんにお届けしています。忙しい毎日ですが、ちょっと一息ついておいしいお茶の時間をお楽しみください。
そして、必ずしもお茶でなくてもいいから、あなたの大切な人や身近な存在のなかに、「守らなきゃ」と心から思える何かを見出す一助になれば、幸いです。
お茶が私に教えてくれたのはお茶そのものの良さだけでなく、家族の時間の豊かなことであり、家族の時間の積み重ねのなかで自分に命が与えられたことへの気づきだったのです。
今は亡き祖父も、旅の報告を聞き満足気でした。いつかどこかでまた祖父に会えたら、「ようがんばった」と言ってもらえるように生きていきたいと思っています。
ここまで、長々とお読みいただき、本当にありがとうございました。どこかでお会いできますことを楽しみにしています。